照遠寺の歴史

1521年(室町時代末期)、稲沢の妙長尼が堂宇を建立。

1531年、京都本圀寺より久遠院日珍上人を迎え、青遠山妙長寺と号した。

豊臣の時代に清洲から名古屋へ移り、その後、徳川の時代に妙長山照遠寺と改称した。

清洲越し

この地に寺院を集め、一旦有事が起これば大軍を集結させ、城下防衛と治安維持のための砦として役目を果たせるようにした。

当時の境内が広いのは、多くの兵・武器・食料を蓄えることができ、いざという時には寺に籠ることで要塞となるためであった。

近代以降

  • 1853年(嘉永6年)
    祖師堂より出火し全焼。
  • 二十一世日誓上人
    祖師堂再建を誓願し、永平六太夫・時田屋吉蔵らの外護を得て、伝燈講・千人講の協力のもと再建を成し遂げた。
  • 昭和30年
    墓地が平和公園へ移転。
  • 昭和34年
    伊勢湾台風による甚大な被害を受ける。土地を売却して修繕。
  • 昭和57年(1982年)
    現在の姿となる。